なりなろぶ。

人生は一度きり。なりたい自分になろう。

50代、赤を着る

小さな頃からネイビーばかり着せられていた。

小学校高学年の頃のスキー遠足で、集合写真の女の子たちはみんな赤いスキーウエアなのに私だけネイビー。なぜ私の両親…多分母親は私にネイビーばかり着せたのだろう。

その影響か、自分で服を選ぶようになってもネイビーやグレーなど落ち着いた色ばかり選んできた。もちろんそれが自分に似合うからだと思っているのだけど。デザインは変わったものが好きだから、色のトーンを落とすことでバランスをとっていたのかもしれない。

小物はあまりたくさんの人の目に触れないから、そこにたまに赤を持ってくることもある。なんともエネルギッシュな色。見ているだけでパワーをもらえる気がする。

今日、ふらっと立ち寄った洋服店で赤いセーターを見かけた。何度も何度も手にとっては離し、違うものを見てからまた戻ってきてまた手にとる。とても着心地がよさそうで、ボトムスは何がいいかな、デニムでもいいし少し長めのスカートもかわいいな、なんて私の頭と心が会話を重ねている。おそらくやや不審な感じだったのだと思う、お店のスタッフの方が「迷われてますか?」と声をかけてくれた。

私のそばに近づいてきたことすら気が付かなかったので、あ、と思ったけど「わかります?」と素直に言って笑ってしまった。

それからはいろいろなアドバイスなんかをしてくださり、私もそれに納得できたので買うことにした。

後ろのほうが少し長くなっていて、袖のリブの部分も長めにとってある。そしてその“赤”具合がなんともちょうどよくて、私の落ち着いた雰囲気に少し変化をくれそう。

11月ももう終わる。来月からは今年の最後を彩るホリデーシーズン。私の気分があがればいいわけだから楽しみながら着てみよう。

クリスマスムードに浸る

クリスマス。実は今まであまり強い思い入れがない…というかできるだけ有頂天にならないように過ごしてきました。

クリスマスってなんだか特別な感じがして。家族や恋人と過ごす、過ごさなきゃならなものだと勝手に思い込んでいました。私には家族がいるけど息子たちはもう成人しているので、さあ!ツリーを飾って!ケーキを用意しなくちゃ!と張り切るような年齢でもありません。でも別にひとりで楽しんでもいいんじゃない?…というか一緒に楽しめる人が現れるのを待っていたら、これから一生楽しめないかも、と思い始めて、昨年くらいからクリスマスソングを聴いたり、定番の映画を観たり。クリスマス当日は自宅でスパークリングをあけて(シャンパンは高いしね)、自分なりに楽しんだかな。

来春、長男がめでたく一人暮らしを始める予定なので、今年は家族と愛猫で過ごす最後のクリスマスになりそう。だから今日、小さな小さな木製のツリーとスノードーム、あとは玄関に飾ろうと思ってクリスマスリースを買ってきました。

子供たちが小さかった頃から最近まで。毎年ツリーも飾ったし、みんなでケーキも食べたし、子供たちからサンタさんへお手紙を書かせて、プレゼントも用意してきたけど。

いつもいつも忙しくて。時間も、楽しむための気持ちの余裕もなかった。その形だけ用意して、ただただイベントをこなしてきただけだったなぁ、って思います。

これからは少しずつ時間はできてくると思うけど、彼らは順番に私から旅立っていく。もっといろんなことやってあげたかったなぁって今さらながらひしひしと感じています。

今年のクリスマスはちょうどウイークデー。彼らとゆっくり、それぞれ飲みたいお酒を片手にいろんな話をしたり、写真を撮ったりもしてずっと忘れないクリスマスにしたいと考えています。

思い入れが強くなるとなんだか泣いてしまいそうで。でもそれでもいいよね。

10月はどうだった?

もうね…あっという間に10月も終わり。

明日から11月だと思うと途端焦り始めるのは私だけでしょうか。急に今年はどんな

1年だったかな、あと2か月のうちにしなくてはならないことはなんだろう、とか。

急におしり合わせに走りたくなる感じ、これ毎年です。

今月はいい時間が多かったかな。自分に集中して、自分の生活を大切にして過ごせた。日々のメンテナンス…とてもハードなことが続いたけれど食事やスキンケア、バスタイムや睡眠をできるだけ大切にできたかな。仕事に関しては忙しくてあまり余計なことを考えなかったし、少しだけいつもと違う自分を出していこうと思って行動すると「おまえは黙って仕事してればいいんだよ!」的な圧力みたいなものも感じる。よかれと思ってやったことは大して相手に響くものではなかった、とか。でもそれらをすごく客観的に捉えて冷静でいることができたし、逆にゲームみたく楽しんでる自分がいて。

出る杭は打たれるんでしょう?どんどん打ってくださいよ、そんな感じの1か月でした。

まぁ実際打たれるといいことはあまりない気がするので。

仕事はいままで通り粛々とやります。

毎日楽しんでるけど。もっといろんなこと、やってみたいなぁと思っています。

いや、買ってしまった

ハロウインですね。

街中はとりあえずハロウイン効果に乗っかれ!とばかりにおばけやパンプキンの装飾が施されています。いつもはお祭りごとやイベントなんかはあまり興味がない私ですが、なぜか今年はやってしまいました、ハロウインネイル!

そしてまたいい年をして…買ってしまいました、

ハロウイン2022耐熱グラスマグキャット!!!

これがまためちゃくちゃかわゆい♡

グレーのガラス製、耐熱なので熱い飲み物でも安心。

私は右利きなので、飲み物を飲むときにもう…猫ちゃんの黄色くてかわいいおめめが私を見てくれるんです♡

飲むときも、そして飲み終わって洗うときですら気分が上がります。

こんなことで気分が上がるなんて、ほんとスタバさまさまです。

 

大切にするってなんだろう 2

特別なことではないよね。

例えばお誕生日やクリスマスにプレゼントをもらう。それが高価であればあるほど特別感(自分に対する価値のようなもの)があるように感じてしまう。

パーティーをしてもらうにも、人が集まればそれに比例して自分の価値も高まるような錯覚。…私も未だにその感覚を忘れられていないかもしれません。

でもそれだけでは計れないんじゃないかな、と思います。

毎日の仕事が忙しくて、普段は家族の食事を作ることにあまり時間をかけられないお母さんは。休みの日には子供たちの大好きなカレーやハンバーグを作ってあげる。

飼い猫に「今日はいつもと違うごはんを食べさせてあげようかな」と思ったら、コンビニで柔らかいパウチを買って帰ったり。

記念日を盛大にお祝いしたり、毎年必ず2週間海外旅行に連れていく、そんな特別感あふれることだけではなくて。日々の生活の中で相手のことを想う時間こそが「大切にする」ということのベースになっているんじゃないかなぁなんて思ったりします。

みんな毎日自分の生活で忙しくしていたり、離れて暮らしていたり。それが親だったり、兄弟、恋人、友人、仕事の仲間、いろんな距離があっていろんな関係性があるけど。

大切にしたい人がいるなら、その気持ちは自然と自分の中からもう湧き上がってきている感情だと思うから。そこに素直になって行動に移していく、ただそれだけなんじゃないのかなぁ。

私は大切にするということがわからないのではなくて、大切にしたい人がいるのにそれをうまく表現できないだけなんじゃないかな、なんて思います。

難しく考えすぎているだけなのかもね。

大切にするってなんだろう

私はもういい大人なのですが「大切にする」ということがわかりません。

ぼんやりとはわかる気がします。両親には本当に大切に育ててもらったと感じるし、もちろん自分の子供たち(もうみんな成人していますが)のことも大切にしてきたつもり。でもね、わからない。具体的に説明ができない。

もう10年くらい前になりますが母が病気になり、私が暮らす街の専門病院に入院していたことがあります。あの時私は仕事を終えてから毎日母のいる病院通っていました。

母が夕食を食べるのを見ながら他愛のない話をする日もあれば、髪を洗ってあげたり、遠方から母に会いに来る父とランチをしたり。高校を卒業して実家を出て以来、両親と離れて暮らすほうがすっかり長くなっていたので、母が病院にいる間くらいは(結果1か月くらいだったかな)毎日顔を見に行こうと決めていました。

…これは大切にするということになるのかな。すごく当然のことだと思うんだけど。

人ではなくてなにか物を大切にする、だともう少しわかりいいかもしれません。(今回はあくまでもVS私です)

例えば新しい家族を持つときに母と選んだ食器棚(ガラスの扉は壊れて半分しかありませんが!)や小さな洋服だんす、一緒に選んだティーカップなどは20年以上経った今でもとても大切に使っています。使ったり眺めるたびに、あの頃の情景や幸せな気持ちを優しく思い出させてくれるものばかり。…うん、大切です。間違いない。

なぜ人に対してだと急にわからなくなってしまうのかな。わからないというより自信が持てないのだろうか。

…真夜中にこんなことを書いても頭の中が混乱するばかり。続きはまた。

日傘をさしながら少しだけ人生を思った

日光湿疹がひどいので少しの外出でも日焼け止め+日傘は必需品です。

昨年から晴雨兼用にしているので、急な雨でも安心。

つい先日、通勤途中でいつも通り日傘をさしていたのですが(この日は日傘として使用)風がとても強い日で、折りたたみの日傘では少し心もとない気がしていました。風の吹いてくる方向は一定ではなく、右から吹いていたかと思ったら次の瞬間には左斜め後ろから吹きつけたり、強くなったり少し緩やかになったり。そのたびに傘が壊れないように、向きをあちらこちらに変えてしのいでいました。ほとんど無意識で。

その時急に思いました。自分の右側から風が吹くときは右側に傘を傾ける、でも左側からの日差しが自分にあたってしまう、日差しを避けたいための傘なのに風のせいで役割を成さない。…なんか誰かの人生もよくこんなこと、あるよねって。

2年後には目途をつけたい目的があるのに不意に思いがけないタイミングで別のミッションがやってくるようなこと、実は最近もありました。しかもそれは今年の初めに一度はあきらめたことだったんです。

お返事をするのに迷いは全くありませんでした。今はふたつのミッションをこなしてみたら?ということなんだな、と素直に受け入れることが一番大切なことだと感じたからです。両方同時進行でやっていくうちに自分に合わないものはやめればいいし、必ずふたつとも最後までやりとげなければならないなんてことはばかげている。自分の人生の幅を自分で狭くしてしまう必要はないな、とも思いました。

今は日光湿疹が出ないように今まで通り日傘を使い、風が強い日は自分の肌を守りながらも傘が壊れないように向きを変えてなんとかしのぐ。こんな感じで2年くらいやってみようかな、と思っています。

…実際の私は。日も当たるし、風も強いし、なら傘をきれいに折りたたんでバッグにしまってしまいますけどね。