なりなろぶ。

人生は一度きり。なりたい自分になろう。

ねこ軸

今日はとても暑くて、私の家族はみんな思い思いの場所で好きなことをして過ごしています。

長男は自分の部屋でお菓子を食べながらおそらく動画を見ている…日頃の仕事のストレスから自分を解放しているのでしょう。バイト終わりの次男は大好きなオンラインゲーム。カタカタとPCのキーボードを打つ音が聞こえてきます。大学の試験前の三男はリビングで勉強中。たまにうなり声や奇声を発しながらも結構長い時間、英文の本と携帯を相手ににらめっこしています。

私は先ほどまでバレットジャーナルの整理、そして本を読み。飽きたので久しぶりにブログを更新中。

そしてうちにはもうひとり、大切な家族がいます。一緒に暮らし始めて2年になるねこ、2歳の男の子です。彼を見ていると自分軸ならぬねこ軸を十分に発揮して生きているな…と感心してしまいます。

自分がやりたいときにやりたいことをする。例えば起床時間も朝の3時ころからにゃーごにゃーご言っているときもあれば、朝ご飯を食べるのも忘れて8時過ぎにやっとのそのそ起きだしてくることもあります。ごはんを食べたい時、なでなでしてほしい時(とても甘えん坊さんです)は私のところにゴロゴロいいながらすり寄ってきますが、私がなでたい時は彼の気がむかなければどこかに行ってしまいます…今はみんなが通るリビングへ続くスペースを遮るように、横に長ーく伸びて寝ています…

私たちは公共の場所、会社の中、家族と過ごす家の中でも自分のペースで過ごせないことが結構多いですよね。誰かに何か言われちゃうからとか、自分の良心に反するからとか。でもそれでいいのかな…自分はそんな時間の使い方を望んでいるのかな…そんなに周りを気にしなくちゃならないのかな…最近本当に疑問に思います。

周りに迷惑をかけるようなことはしてはいけないけれど。例えば今携わっている職場や仕事が自分にとって心地いいものでないなら、新しい環境を求めて行動することを考えたらいいと思います。1日の中でもし自分が不快に感じることがあるのなら、それは積極的に排除して、できる限り自分が機嫌よく過ごせる環境を自分で作っていく。

そのためにはこれから自分がどうしていきたいか、今この瞬間は自分にとって心地いいのか悪いのか、しつこいくらいに自分に問いかけながらうらやましいくらいに自分軸で生きていきたいな、なんて思います。

 

ねこ軸の彼は、今度は私のベッドを自分のもののように、しかも枕まで使って眠っています。ねこ軸、恐るべし!

自分の人生、生きるのは自分だ

今年はどんなことをしようか。2022年1月2日、抱負のようなものを少し具体的にしてバレットジャーナルに掲げました。

今月は私の誕生月。今年の抱負は何か達成できているものがあるだろうか、○○歳はどんなふうにしていこうか、なんて考える時間がほしい…今年は仕事が忙しく、とても有難いことではあるけれど、自分とじっくり向き合う時間はあまり持てなさそうです。なのでここでサクッと向き合ったつもりで書いてみます。

バレットジャーナルに書いた抱負は10個。簡単なもの(髪を伸ばす、NISAを始める、デートする、とか( ´∀` ))、結構大それた内容のもの、様々です。その中でもここ2~3年かけて達成したいと考えているものが「やりたいこととその可能性の模索」です。

私はごく普通の会社員、営業職をしています。コロナ禍で2年ほど、普通に仕事ができない日々を経験しました。最初の頃はこの状況が2~3か月で収まるだろうと思っていましたが、状況は悪化していく一方。そこでいろいろなことを感じました。

今までの私の人生はずっと仕事ばかりだった、仕事をしなければ息子たちに美味しいごはんを食べさせられない。だから仕事はしっかりとやっていくし、それさえできていれば他のことは多少できていなくてもいい…でもこうして仕事に行くことができなくなると、私は何とも頼りない自分と向き合わなければならなくなってしまいました。それだけある意味仕事に依存していたのかもしれません。

仕事、職場での存在感が自分の価値を証明してくれる、そんなちっぽけなモノサシしか私にはなかったことに気づかされました。

昨年、小さな節目となるお誕生日の頃には私には十分すぎる時間がありました。在宅勤務に入って1年半がたっていたということもあって、この自由な時間がいつまで続くかわからないから、これは長く仕事をしてきた自分へのご褒美だと思うようにしてこれからは今までできなかったことをしよう、と捉えるようになりました。

では何をしたらいいのか。これから私はどんなふうに生きていきたいのか。

組織にいれば安心だけれど、犠牲にするものも多い。もっと自分らしくいられる場所、人、仕事に携わって生きていきたい。

あれからまた1年が経ち、明確な目標はあるけれど、それにどれだけ近づいていけるかは正直わからないのです。でも怖くてもその一歩を踏み出さなければ私は死ぬまでこのままだ、怖いけどまず1歩を踏み出そう、じゃあ2歩めも行けるよね?…今はこんな感じで小さな軌道修正、試行錯誤しながらも前に進んでいます。

別に何度失敗したっていい。

なりたい自分になる!そう決めたらあとはやってみればいいと思います。

未知の自分が絶対にこの先にいるのに、そこにたどり着けないのはほんの少しの勇気がないだけなんですよね。

今、やってみたいことがあるのに、もしあと1歩がでなくて立ち止まっている方がいたら。

一緒にやってみましょう。残念ながら私たちのこの人生はいつか終わりが来る。だからとりあえず1歩踏み出してからこれからのこと、考えていきましょうよ。

父そして母

私には父と母がいる。まだ健在だ。

私が18歳まで過ごした実家でまだ二人、仲良く生活している。

父は70代後半だというのにまだ仕事をしている。おそらくいまだに私よりも忙しい毎日を送っていると思うけれど、父は母のことが大好きで、出張などで長く家を空けることがあっても毎晩母に電話をかけてくるそうだ。母は「別にかけてこなくてもいいのに」なんて言ってるけれど、私はそんな父が何とも可愛らしく思う。

ここ何年か、父に少し時間の余裕がでてきたようで、二人で出かけることが多くなった。もともと父は国内・海外問わずどこかへ行くことが大好きな人だ。先日も母から電話があって、「どこかいいホテルがないかしら。パパが行きたいって言ってるのよ」なんて私に控えめに聞いてくる。

私がどうせ提案しても、好みがうるさい二人だから提案損(こんな言葉あるのかしら)だと思いさらっと受け流して電話を切った。

でも次の日、出勤しながらふと。今日もし万が一、父と母に何かがあったら。もう二度と会うことが叶わなくなったとしたら。私は人生最大の後悔を背負うことになるだろう。

父も母も、自分たちの親をとても大切にしていた。父は忙しい毎日の中、時間ができたら車で3時間の道のりを日帰りで祖父や祖母(父の両親)によく会いに行っていた。母の実家はとても遠かったので頻繁に会いに行くことはできなかったけれど、その代わりに年に1回、兄弟を集めて祖父母をいろいろなところに連れていった。

きっと。自分たちはあんなに親孝行をしたのに、親不孝な娘(本当に私は親不孝だ)は何もしてくれない、ホテルくらい探してくれてもいいのに、くらいは思っているかもしれない。

だから、というわけではないけれど。どこか両親の気に入りそうなホテルを探してみよう。探しても見つからなかったら別にそれでもいいのだから。

親孝行したいときに親はもういない、なんてことはできるだけしたくない。小さな感謝の言葉でもいい、ずいぶん遅くなってしまったけれどこれからでも伝えていきたいと急に思った。

忙しい時、気分が上がらない時こそ!自分に集中してみよう!

忙しい日が何週間も続いている(特に仕事)

自分のためのメンテナンスなんかは最低限こなしているけど、食事が簡単なものになったり、お掃除や観葉植物への水やりなんかがおろそかになりがち。

仕事が終わって帰ってきたときとりあえずお腹を満たすだけのメニューだったり、「あー…今日も花たちにお水あげるの忘れたー」となると自分のルーティーンが崩れたような気持ちになってあぁぁぁぁ…とひとりで落ち込んでいます。

でも落ち込んでも忙しい日は続くし、また明日もきっとあぁ…とはなる。

そんな時、私は特に朝目覚めてから会社に着くまでの数時間を意識して大切に過ごすようにしています。

朝の私のルーティーンはいろいろあります。目覚めたらまずベットの上で軽くストレッチ。肩や首が弱いので筋膜リリースを意識した動きを取り入れています。

そのあとはお湯を沸かして白湯、寒い冬の朝はコーヒーも。夏は自家製の冷たいレモネード。そして季節は関係なく豆乳を飲みます。実はつい最近まではサプリを飲んでいたたのですが、なるべく人工のものは身体にいれないようにしようと思ってから豆乳が習慣になっています。(黒ごまとフルーツが好きだ!)最後は筋肉をつけるためのストレッチをしてプロテイン…この何種類かの飲み物を飲んでいるときはいちいち「あーおいしいー!!」を連呼しています。多分20回くらいは叫んでいます。

 

家を出て会社に着くまでには地下鉄の中で10分間本を読み(だいたい座れないから立ったまま)、降りたあと歩く15分間は仕事のことは考えずにただひたすら1歩1歩を大切に歩きます。あ、今1歩踏み出した、次は左足だね?よし、足の裏がしっかり地面についた、みたいな。(なんかただの変な人)

この1歩1歩を踏み出して前に進んでる間にも私の人生の残り時間は確実に少なくなっている、増えていくことは絶対にないんだ、と思ったら歩くという何気ない行動に特に集中したくなるんです。

 

朝起きてから家を出て、会社に向かうために地下鉄に乗り15分歩く。

毎日あたりまえにこなしていることなんだけど、もしかしたらこれが普通にできなくなってしまうときが来るかもしれない。

明日は必ずやってくるなんて誰も約束してくれない。

だからどんなに忙しくても、疲れていても。たとえ気分が上がらない日があっても、それを理由に雑な時間の使い方はしちゃいけないな、って最近強く思います。

人生は一度きり。

本当にそうならば。楽しまなきゃもったいない、きっと。

「髪切った?」

「髪切った?」よく言うし、同じくらいの頻度で言われる。

…だからどうした?

事実確認をしたいのか。髪切ったんだね、気づいてあげたよ、ということを伝えたいのか。「髪切った?」の後にもう一言を付け加えることができる人ってあまりいない。

もう一言がないと私はなんとも後味が悪い。大げさではなく相手のセンスを疑う。でもそこでもう一言を催促してしまうのもなんだかおかしい。

だからせめて私がその言葉を言うときは「お!いいね!」「夏らしいね!」「いい色だね!」「雰囲気変わるねー」なんて言うようにしている。

美容室はほとんどの人が定期的に行くと思うけど、そのたびにいい一声をかけられたらそれだけでうれしいよね。声をかけた自分もなんだか気分よくなるしね。

棒棒鶏

昨日作ってみた。

少し前から急に食べたくなって、材料は揃えてあった。

…というかみなさんは棒棒鶏、なんて読むかわかりますか?

私は家族に言った、間違いなく。「今日はボーボーどり作るよー!」と。家族は「なにそれ?」と言ってたけれど、特に深く追求することもなくいよいよ夕食の準備の時間に。

休日は美味しいものを食べたいから、携帯でレシピを探してからとりかかる。でもふと。「これってなんて読むんだろう、ボーボーどりでいいんだよね?」と少し疑問に思い、その流れでググってみると…へぇぇ、そうだったんだ…あぶなかったよ…

 

ビールとともに堪能しました。棒棒鶏

お蕎麦屋さん

昨日、仕事帰りに家族に連絡をしてみた。

みんな食事はすでに済ませていた…そうだよね、もう夜の9時過ぎだった。

自宅近くの駅を降りて、なにか食べて帰ろうかな、今日はお酒を飲みたい気分でもないし、と思いながら歩いていたらお蕎麦屋さんがあった。

ここにお蕎麦屋さんがあるのは以前から知っていて、気にはなってたけれど…暖簾下のメニューを見ると夜9時半がラストオーダー、そのままの流れで入ってみた。

中にはお客さんが3人。いい感じでお酒を飲んで結構大きな声で話している。

そのせいか私が店内に入ったことにお店の人は気が付かない。お客さんのうちの一人が大きな声で店員さんを呼んでくれた。

もう時間も遅いからなるべく手のかからないものを注文しようと思ったのだけれど、どうしてもとり天が食べたくなってしまって。申し訳ないと言いながらざるそばととり天を頼んだ。これに日本酒でもあれば最高なんだけど、今日はやめておこう。

少し時間が経って、店員さん、いや店主が「おまちどうさまー」の声と一緒に注文したものを運んできてくれた。

まずはお蕎麦をずるずるっと。そのあとにとり天…あげたてで、むね肉なのにとても柔らかい。きちんと切り込みを入れてあるし、下処理をきちんとしているからこんなに美味しいんだろうな、なんて思いながらパクパク。あっという間にねぎを入れて蕎麦湯をいただいていた。

いつも食事は自分で用意している。家族もいるからそれはあたりまえなんだけれど。

誰かに食事を作ってもらう、それは飲食店でも友人宅でもそうで。自分のために食事を準備してくれるって普段の私にはないことだから、本当に特別でとてもうれしくなってしまう。

ストレスフルな一日だったけれど、お蕎麦ととり天のおかげでいい一日になった。

今日も一日ありがとう。