特別なことではないよね。
例えばお誕生日やクリスマスにプレゼントをもらう。それが高価であればあるほど特別感(自分に対する価値のようなもの)があるように感じてしまう。
パーティーをしてもらうにも、人が集まればそれに比例して自分の価値も高まるような錯覚。…私も未だにその感覚を忘れられていないかもしれません。
でもそれだけでは計れないんじゃないかな、と思います。
毎日の仕事が忙しくて、普段は家族の食事を作ることにあまり時間をかけられないお母さんは。休みの日には子供たちの大好きなカレーやハンバーグを作ってあげる。
飼い猫に「今日はいつもと違うごはんを食べさせてあげようかな」と思ったら、コンビニで柔らかいパウチを買って帰ったり。
記念日を盛大にお祝いしたり、毎年必ず2週間海外旅行に連れていく、そんな特別感あふれることだけではなくて。日々の生活の中で相手のことを想う時間こそが「大切にする」ということのベースになっているんじゃないかなぁなんて思ったりします。
みんな毎日自分の生活で忙しくしていたり、離れて暮らしていたり。それが親だったり、兄弟、恋人、友人、仕事の仲間、いろんな距離があっていろんな関係性があるけど。
大切にしたい人がいるなら、その気持ちは自然と自分の中からもう湧き上がってきている感情だと思うから。そこに素直になって行動に移していく、ただそれだけなんじゃないのかなぁ。
私は大切にするということがわからないのではなくて、大切にしたい人がいるのにそれをうまく表現できないだけなんじゃないかな、なんて思います。
難しく考えすぎているだけなのかもね。