なりなろぶ。

人生は一度きり。なりたい自分になろう。

想像力

私は長年接客業をしている。

だから人の見方は多分厳しいし、かなり偏りがあるかもしれない。

でも今日、ちょっと思ったんだけど。同じ組織で働く仲間が、普段どんな仕事をしていて、今何が大変だと感じているのか。人手は足りているのか。もしかしたら見えないところでとても神経をすり減らしているかもしれない。お客様からクレームが入っているけど何か特別な事情があったのかもしれない…

私は自分が経験していない仕事に対してはマイナスの意見を言うべきではないと思っている。実際に経験してみなければそこの部署がどんな仕事をしているのか、大変なことは何なのかなんてわからないから。

でもね、実際はわからないけど想像することはできる。想像はできるし、もし困っていいたり、ストレスを抱えている仲間がいれば相手の顔、声のトーン、しぐさ、食事の仕方や歩き方を見ていればわかる。そんな時はまずどうでもいい話をして様子をうかがってみる。もしそれで相手が「ちょっと話してみようかな」なんて気配を出してくれたら何となくそんな話を始めればいい。

別に難しい話ではない。

相手への思いやりや配慮ができない人はいい接客なんてできないんじゃないかな。

自分一人だけが大変だなんてことはない。それは傲慢で勝手な思い込みにしか過ぎない。

みんなもっとね、想像力を働かせて相手に思いやりを持とうよ。

休日

久しぶりの休日。

やりたいことがたくさんあるのに頭と身体が言うことを聞いてくれない。

ベッドに横になりながら(きっとこの体勢がよくない)本を読んだり、動画を見てもおそらく1分ももたないうちに眠りに落ちている。

眠っているのに何か気配を感じて。目覚めると横には2歳になったばかりの飼い猫が私のとなりで背中をむけて小さくなっている。なんだかいとおしくて、小さな額に手を伸ばして撫でてみる。機嫌がいいとゴロゴロ喉をならしてくれるし、そうじゃなければ嫌がってふいっとベッドからいなくなってしまう。

今日はゴロゴロしてくれた。今はここにいたい気分なんだね、とわかると私まで気が緩む。

夕方はステーキを丁寧に焼いて、息子たちと夕食。最近は家族一緒に夕食をとれるのは週に1度しかないから、この時間はても大切にするようになった。それほど遠くない時に私がひとりで夕食をとるようになったら、みんなで一緒に夕食をとっていたことがとても尊いことだったんだ、なんて思うのだろうから。

結局なにもできなかったけど。落ち着いた空間のなかに自分を置くことができてとても満たされた1日だった。

みんないつも私と一緒にいてくれてありがとう。

ありがとうを言いまくる

昨日もふれたが、仕事がとても忙しい。

忙しいといろんなことに余裕を持てなくなる。忙しいのは仕事だけなのに、なぜかその他の部分もなんだかせわしなくなって、歩き方までせっかちな感じになる。

これではいけない、大切な一日がただ「忙しかった」で終わってしまう。

最近強くそう感じるようになって、ではどうしたら同じ一日でも満たされた気持ちで過ごすことができるだろうなんて考えてみた。

まずは深呼吸をして。意識的になんでもゆっくりするようにしている。

歩くとき、食事の仕方、書類の扱い方やパソコンのキーボードをたたくとき。会社の携帯も乱暴にしたら壊れてしまう。話す速度はある程度相手に合わせなければならないけれど。

そして感謝の言葉を多めに言うようにしている。何かをしてもらったらありがとう、してもらう前からありがとう。会社のランチを作ってくれるスタッフにも「ありがとう、美味しかったです!」と伝える。ありがとうを言いすぎて、何がですか?なんて言われてもそれはそれでいい。

ありがとうって言われるとうれしくなるし、そう感じた人のうれしいという気持ちが周りにじんわり広がっていくような気がする。そしてそれを感じ取った自分がまたうれしくなってしまう。ありがとう、って最初に言ったのは自分なのに、最後は自分までうれしくなってる。

今日も忙しかったけれど、意識してありがとうをたくさん言って歩いたから、私の心はほかほかしてる。

今日も一日、ありがとう。

ごますり

ここ何日か自分の機嫌が良くない。

仕事が猛烈に忙しくて、帰宅するのが夜10時頃。そこから家族の夕食の支度をして、家にいる人だけで食事をとり…やっと一息つけると思ったらもう真夜中。

自分のペースで生活することを大切にしているので、それが思いがけなく崩されると気分が悪い。毎朝、毎晩のルーティーンも決まっているから自分の好きな時間を削らなければならないことが嫌なのだ。(ただわがままなだけです;)

仕事に限らず、毎日を過ごす中で何となく自分のリズムにのれないまま1日の終わりが近づいてきて、不完全燃焼だったな、なんて感じる日もある。そんな気分の時は自分にたくさんごますりをして(もちろん自分で)、自分の機嫌を良くしてあげることに集中。

 

何をするかというと。

少し前まえでは街中のバーで仕事帰りにお酒を飲んだり、ホテルに泊まってゆっくり過ごしたりすることが自分を癒す手段だったのだけど。このコロナ禍を経験するうちに、家で過ごすことが大好きになってしまった。

自分のために美味しいごはんを作る、家の中で音楽を聴いたり本を読んだりする時間には美味しい紅茶(熊本のお土産にいただいた和紅茶も好き)やお手製のレモネード、自宅で仕事や作業をする時にはネロリの香りのするキャンドルを灯したり。全然特別なことじゃない。

そうやって自分と会話しながら、どうしてあげたら自分が心地よく感じるのか、お互いがお互いを探り合う作業をしていく。

生きているといろんなことがあるけど。いくらおもしろくないことがあったとしても、そのせいにしないで楽しく過ごすためには何をしようかな、と工夫しようとすることが大切なんじゃないかな。

あとはひたすら笑う。楽しくないけど笑う。どうしても笑えない時には口角をあげるだけでもいい。そして自分は満たされてる、今日も楽しいことばかりだった!と自分に言い聞かせながらベッドにもぐりこむ。もちろん笑顔で。

これで必ず次の朝には最高の気分で目覚めることができます!…なんてことはない。

現にこれらを実行している私でも、一度不機嫌になると何日間かはこんな自分につきあわされる。

でもね、人生は一度きり。自分にごまをすりながらでもいいから、少しでも機嫌よくそして楽しい時間の中に自分を置いてあげたいな、と思う。

…またきっと。明日も自分にごますることになりそうだな。

なりたい自分になろう。

なりなろぶ。このブログ名だ。なりたい自分になろうブログ、だとなんだかおもしろくなくて、短くしてみたらこうなった。

名前は決めてみたけれど、正直何を書いたらいいのか、どんな書き方が正解なのかわからない。

別に書かなくてもいいんじゃないか、という気持ちのほうが大きい。

でも何となく表現してみたくなった。

いろんななりたい自分がある。やってみたいことがたくさんできた。できるかどうかはわからないけど今はとりあえずやってみよう、を大切にしたい。

 

人生は一度きり。大切な人との別れ際に、また必ず会えると思ってはいけない。

やりたいことがあるならすぐにやろう。すぐが難しければせめていつやるのか自分の中で決めよう。

自分のために、そして自分を大切にしてくれる人、支え続けてくれるのために今、試行錯誤する自分をここに書いていこうと思う。

読んでくれることはないかもしれないけどね、でもそれでいい。